30日目① 北京 胡同 四合院建築とオート三輪 2010年12月9日(木)




 朝、気持ち良く目覚めて朝食を食べてからフロントに顔を出すと、才色兼備のリサちゃん(中国名はシャオシャオちゃん)が夜勤明けで、ユェンユェンちゃんに引継ぎ中でした。やや立ち気味のカーブを描いた、中国風の衿の制服が良く似合っています。淡いピンク、ブルー、モスグリーン、オレンジそれに白の色使いがいい。
 
 今日は北海公園へ行く予定です。が、胡同を見てから行きます。石造りの家が沢山あり、落ち着いています。ライトグレイと言うか、明るい灰色。壁には彫刻が施され、屋根瓦もいい。大変美しいです。この一画は四合院式と呼ばれる建築洋式を保存してあります。
 但し、所々にある公衆トイレはやや臭気がきついです。ご利用の際はそのつもりでいて下さい。意外という感じもしますが、チベットの僧院などでもちょっと似たものがあります。日本のお寺などではトイレはものすごく綺麗ですが、どうも考え方が違います。ヨーロッパアルプスの確かスイスの山の上のトイレ。あれはすごかった。臭いが全くしない。常に水が流れている。どうなっているのかよくわかりませんが綺麗でした。

 その辺を走っているステンレスボディのオート3輪が、かわいくてカッコイイ。塗装無し。ピカピカの銀色。タイ、バンコクトゥクトゥクは前に乗ったことがあるのですが、2サイクルエンジンの甲高い音に、適度な振動と風防無しの爽快感が良かった。あの暑いバンコクではいい。
 北京のこのオート三輪は、乗客二人が密閉式の座席に座れるところが特徴です。真冬は吹きっさらしでは死んじゃいますからね。バイクは排気量125CCくらいの様です。50CCの原付ではお客さん二人とステンレスボディを走らせるのは無理でしょう。学校帰りの小学生がどうも贅沢なんですが、オート三輪のタクシーに乗り込むところを見かけました。楽しそうです。カメラを向けるとドライバーのおじさんも、ニコニコして頷いていました。観光客や小学生のお客さんにも楽しんでもらえるいい仕事ですね。こういう仕事がズーッと続けられたら、それは幸せですね。羨ましい限りです。
 
 今回の旅行では、やはり人に接する観光、ホスピタリティの仕事をする人達が楽しく仕事をしているところを沢山見ました。
 ゲストハウスのオーナーにフロントやレストランのスタッフ。成都の室内プールの受付。青蔵鉄道の可愛い車掌さん。錦里のお土産屋さん。きな粉餅を売ってたおばちゃん。チベットでは英語、中国語ペラペラのガイド。ランドクルーザーのドライバー。ラサやシガツェのホテルの可愛いスタッフ。男性スタッフも。各地のカフェやレストラン、小さい食堂のオーナーやスタッフ。空港の係員などなど。
 大体、旅行中はそういう人達と接する事が多いのは当たり前。その町や国のイメージを決定的にするものです。もう少しゆっくり出来たら、もっと普通の人というか色々な人と知り合えたかも知れません。1ヶ月というのは長くも短くもない。友達を沢山つくるのにはもっともっと時間が欲しいですね。でも、まあ、普段、日本にいて自分はどうか?社交的なわけではないので、旅の途中に性格が急に変わる訳でもない。こんなものだったかも知れません。チベット語と中国語が話せたら、色々な人と話せるのだから、これから勉強しよう。もっともっと面白くなります。乞うご期待。

29日目④ 北京に詐欺師集団大量出現!反日宣伝について。  2010年12月8日(水)

 「南京から来たんだけど、腹が減ってんだ(金をくれと言う意味ですよモチロン!)。」といきなり言われたら、いったいなんだと思いますよね。と言うか「だからなんだバカヤロー!」と言いたいですね。「アイムフロムナンジン、アイムハングリー。」って、英語でですよ。
 久しぶりの日本酒に鍋焼うどんを食べた後、気分良く歩いていたんです。ヒルトン北京・王府井ホテルとかザ・ペニンシュラ北京とか。それにゴージャスな西洋のお城みたいな大きなレジェンデールホテル。五つ星。そんなストリートを歩いていたら、向こうから学生風4〜5人組がやって来て、中の一人が言ったセリフです。ははーん、私を日本人と見て、南京からって言えば申し訳ないと思って金を出すと思ったんだろう、とその魂胆がすぐ分かりました。
 反日教育が盛んだった90年代に子供だったとして、今、2〜30代と言ったところか。多少のズレがあって、もっと若い学生もいるだろうし、逆に40代くらいの人もいるだろうと推測します。いずれにしろ一日本人旅行者に対して、非礼、失礼を通り超して馬鹿馬鹿しく阿呆らしくなるセリフです。
 そんな事言うなら、チベット人も中国人に対して、「チベットから来たんだけど、お腹が減ってるんだ。」と言えばいいのか?天安門で殺された学生達にしてみたら誰に言えばいいのか?そこら辺を警備している人民解放軍の兵士に向かって、「天安門から来たんだけど、お腹が減ってるんだ。」なんて言ったら逮捕されちゃうでしょ?
 バカヤローと思いながらもひと組目は無視していました。そう「ひと組目」は。
 それから5分もしないで、今度は若い男女2人プラス赤ちゃん連れ。セリフも「南京から歩いて来たんだけど、お腹が空いてるんだ。」と。馬鹿じゃないのかと思いながら、お前の言うことは信用できん!と言ってから無視して歩きました。あいつらは仲間同士か?とも思いましたが、波状攻撃をかけるくらいなら、全員で寄ってたかって取り囲んでしまった方が、恐怖感を与えて金くらいスグ出てくるかも知れないのに、などと思いながら歩いていました。
 朝陽門南小街にぶつかったところで左折しようと信号を待っていたら、なんと3組目!同じセリフ。「南京から歩いて来たんだけど、お腹が空いてるんだ。」
あんまりバカバカしくなって「だからなんだ!仕事しろ!」と語気を強めて言ってやると、その男女2人組はシュンとなっちゃって、「南京は仕事がないんだ。」とか適当なことをほざいているので、「ここまで歩いて来たというのはウソだろう?」と言ってやったら、「英語が分からない。」とか急に誤魔化してそそくさと逃げて行きました。まいいかと思ったのですが、なんだか頭に来て、「おい!ちょっと待て!大体なんだよ!」とか言ってやったら、なんだかブツブツ言ってましたがやぱり逃げちゃいました。赤ちゃんを入れて約10人。暴力的ではないのですが、イヤな感じです。
 
 内政の失敗を誤魔化す為に国民の目を外に向け、共通の敵を作る。負けが込んできた為政者の常套手段ですね。反日的なテレビ番組や映画というのは中国では今でもどこでもいつでもやってます。これは一体全体、国民の常識なのか、一部国民の常識なのか、知性的でない国民の常識なのか、60年も70年も前の事をいまだに糾弾し、大袈裟に宣伝し、洗脳しているわけです。真実を知らされない普通の中国人に罪はないのだと思います。私が今回の旅行で知り合った中国人は、20代から3〜40代。反日教育の影響が小さい人達だったのか、テレビや映画などの宣伝に騙されない人達だったのか、私が「お客様」だからか、とにかくイヤな感じはなかった。

 テレビ番組がまたすごいですよー。
 その名も「敢死隊」日本風に言えば「決死隊」と言う感じでしょう。時は1930年から40年頃。大日本帝国陸軍が広い中国大陸を侵略中。中国は内線状態だったせいか、そもそもやる気がないのか、日本軍が強かったのか。とにかく正規軍だけではなく「抗日ゲリラ」が戦っていました。ゲリラを指導するのは中国共産党軍から来ている一人の将校です。この将校を中心にしてわずか6〜7名のゲリラが何十人もの日本の兵隊をやっつけるのです。 
 大体日本軍の鉄砲玉は当たらないように出来ています。物語上。ゲリラの玉はちゃんと当たってくれます。そうしないとスグ番組が終わってしまいます。いつも午前中、2時間くらいやってました。第32話が最終回。長いテレビシリーズです。
 日本側には、川島芳子(日本の傀儡政権清朝の皇族の王女。日本に学ぶ。後、日本軍と協同で対中諜報謀略活動をしたとされる)ばりの男装の麗人、美恵と呼ばれる陸軍将校が出てきます。美人ですが、これはもちろん中国からすれば裏切り者との扱いです。
 今、フト気づき「敢死隊」で調べたらちゃーんとDVDが日本でも買える様です。が、日本で再生出来るかどうかはわかりません。

以下、クイックチャイナというサイトからの引用です。
【ストーリー】:1937年11月初日寇沿滬寧線長駆而下直奔金陵,金陵城岌岌可危。国軍金陵守備司令接受了我中国共産党人的建議,“団結一切可以団結的力量,全民抗戦!”中共地下党員馬烽接到上級命令:領導一支由特殊身分人員組建的敢死隊准備与日寇進行殊死搏殺。所謂“特殊身分人員”,即被関押在省第一監獄中的“死刑犯”,他們中間不乏忠義之士。這些“死刑犯”中有不服官僚買ban巧取豪奪而誤傷人命的;也有奮起抗争而将地主悪覇送入地獄的;還有被懐疑是“通共赤色分子”的。馬烽選擇了四男二女組成了代号為“303”的敢死隊。日寇在金陵城内焼殺搶掠無悪不作,這激起了敢死隊員們的満腔怒火,他們決心“抛頭顱、洒熱血、向日寇討還血債!

 特殊身分人員というのは特殊部隊員みたいなものでしょう。死刑犯というのはやはり死刑囚のことでしょうか。これは普通の抗日ゲリラよりもっと危険な任務を遂行する為に、死刑囚の中から4人の男と二人の女が選ばれたという話だったのだと推測します。
 中国語がわからないので、、、、。すみません。

 以下、えらい自動翻訳になっちゃいました。
 初期の 1937年 11 月と日本、上海-南京に沿って長いクし金陵をまっすぐに行った、金陵市がかかっています。南京守備隊の軍事司令官、中国の共産主義は、「すべてトゥアントゥアン結び目結び目強度、戦にすべての強い ! 私提言を承認「CPC Ma 風水の地下のパーティー メンバー上司から注文を受け取った: 特別な人事決死隊苦い戦い準備ができて id フォームには、日本侵略をリード。いわゆる「特別なスタッフのアイデンティティの」が開催されている「死刑、それらの間の州で最初の刑務所の忠誠心の欠如はありません。これらの「死刑」禁止略奪的攻撃生活を購入する官僚に対してアピールしているも上昇すると地獄に家主トラフィック BA を戦う; 懐が疑われているが「統赤の要素がある」。Ma 風水 4 人の男性を選択して 2 つの女性コード「303」を決死隊。少が死亡金陵での日本人の侵入者の都市交通なし作らないは略奪の死隊をいた Narua 麻美キャビティ怒り攪拌、「日本の侵略には、頭をスローと血を流す、彼無数流血犯罪支払いを確認するには ! 決定は
 なんだか中途で翻訳終わってしまってます。
 
 敢死隊の中でなぜか男女のペアが2組出来上がります。やや言葉が頼りないけど目が大きく気のいい若い男性ゲリラが、女性ゲリラを好きになるのですが、女はなかなかいい顔をしてくれません。ある日、日本軍の急襲を受けた敢死隊はバラバラになり逃げ遅れた女は、捕虜になります。男装の麗人風日本軍将校美恵が、なんと日本兵に女を「褒美」だと言って連れて行かせます。彼女を好きな若い男性ゲリラは、物陰から彼女が日本兵の慰め物になりそうなところを見て発狂しそうです。このままでは彼女の名誉は守れない、と考え、自分の銃で彼女を撃つ。周りの日本兵は逃げる。彼は走って行き、彼女を抱き抱える。死ぬ間際にやっと、彼女は彼に愛を告げる、と同時に日本兵の銃剣が彼を刺し殺す。

 これは典型的なパターンです。が、日本憎し!と言う感情を植え付けるには一定の効果があります。

 もう一人、よく将校を助けた落ち着いた渋い男性ゲリラがいました。最終回。日本軍高級将校が集まっているとの情報を元に、敢死隊はその名の通り決死の攻撃をかけます。渋い男性ゲリラが日本軍高級将校が集まっている部屋の天井に忍び込みました。身体には爆弾を抱えてます。ここで天井からロープを伝って降りて行こうとしたら、ある女性ゲリラが「私が先に行く。」と言って潤んだ目を見せます。こうなると男は弱いので、わかった先に行けと言って女を日本軍高級将校が集まっている正に、その真上にロープで降します。すると当然、周りの日本兵が気づいて彼女は撃たれてしまいます。それを見た渋い男性ゲリラは何クソッ!と思いながらダーッと降りて行く。やっぱり日本兵に撃たれて死んでしまいます。爆弾はまだ爆発しません。
 そこでやっとゲリラのリーダー、つまり共産党軍の将校が、同じ様に天井から降りて来ます。びっくりした日本軍の高級将校は刀を抜いて、リーダーを殺そうとするのですが、死にません。ついに爆弾に火をつけることに成功します。リーダーもろとも大爆発。身を挺して日本軍を痛撃したという話でした。
 あっ、そう言えば男装の麗人日本陸軍将校美恵は敢死隊との戦闘の際、撃たれて死んでしまいます。

 こうして、日本軍といかに戦ったか、また日本軍がいかに卑劣であったかが、宣伝されるわけです。

 まあ、そんなことはないだろうとは思いながらも、見え見えの宣伝が毎日行われているので、ボディブローの様に効いています。いくらのなんでも、南京事件(あるいは大虐殺)を持ち出して、日本人旅行者から某かの金をせびってやろう、と言うのは正しい褒められた事ではない事くらい、誰でも分かってはいる。けれど国家が毎日言っているんだからやってもいいんだ、と言い訳が出来る。ちゃんとした人間は宣伝なんぞに乗りません。ちょっと小遣い稼ぎしてやれ!とか適当な人間がやってしまう事だと思います。中国政府の責任が一番大きい。やはり事実を見る目を中国人一人ひとりが持てる事が必要です。






 
 

29日目③ 王府井 鍋焼うどんに冷酒 2010年12月8日(水) 

 


 カフェでひと休みしたら体調も戻ってきたので、このまま王府井を歩くことにしました。北京の銀座だそうです。広い通りです。歩行者天国になっていたのか車は殆ど通ってません。デパートやレストランその他色々な店が並んでいます。帽子屋さんが大繁盛。やはりここのところ寒いので、耳までスッポリ覆う暖かそうな毛糸や皮の帽子が沢山あります。ビルの入口あたりにヴィヴィアン・スーちゃんらしきポスター。ちょっと大人っぽくなったのか別人か?
 温かい物が食べたくなったので、色々探しましたが、大きいビルの地下の日本食レストランに入ってみました。明るく広い店内はまだお客さんは少ない様です。Jポップが流れています。曲名はわかりません。ウェイトレスは制服もちゃんと着て、愛想もいいです。多分、日本人ビジネスマンが多いのでしょう。しっかりとしたサービスです。寿司、天ぷら、刺身他酒の肴は一杯揃っていましたが、鍋焼きうどんと冷酒にしました。白鶴、300MLで70元 900円とは高いけれど、どうしても飲みたくなっちゃったんです。寒さで疲れた身体にグッと染み込みます。成都のシムズで飲んだ立山の酒もおいしかったですが、今日の冷や酒も実にうまい。こんなうまい酒はホントに久しぶりです。何年も海外暮らしをした人が一杯の味噌汁を飲んで、急に日本に帰ろうと決めたという話をどこかで聞いたことがあります。私はたった1ヶ月の旅行ですが、日本食とか、多分、日本人に会ったとしてもすごく懐かしくなってしまいそうです。

 長く一人旅を続けている日本の若い人を、成都のシムズで見ましたが、やはり旅が長くなると日本人と話したくなるのは自然なことですね。前にも書いたことですが、ゲストハウスで会うのは圧倒的に欧米人です。今回の1ヶ月の旅行で成都のシムズ以外で日本人には会いませんでした。すれ違ったりしているのかも知れませんが、少なくとも宿では一緒になりません。実にもったいないことですね。円高だし、日本にいても景気は悪いし、海外旅行でもするのが一番良さそうだけど少ない。寒い時期にチベットや北京に行かなくてもいいかも知れませんが、冬のヨーロッパに行く人もいますよね。
 欧米人は英語を話す人が多いので一人旅でも寂しさを感じないのではないかとも思います。日本人ももっと旅行をしましょう。一人旅じゃなくてもなんでもいいから。たくさんいい事がありますよ。

 店も段々お客さんが増えて来ました。見たところ中国のOL風な人達が結構いるみたいです。こちらでも日本食はなかなか人気ですね。
 ほろ酔い加減で外に出るとゴージャスなホテルがズラーッと並んでいる通りに出ました。こんなところでまた詐欺師に遭うとは思いませんでした。それも20分くらいの間に3組も!
 
 
 
 

29日目② 北京 天安門あたり 2010年12月8日(水)





 天安門はやたらとでっかいです。建国門内大街を2〜3キロ歩くと天安門前に着きます。右側にカリギュラフィーの女達がいたグランドハイアット北京や、北京の銀座とも言うべき王府井、シンガポールスリングで有名なラッフルズの仲間、ラッフルズ北京ホテルなんかを見て歩きます。
 余談ながらこのラッフルズの発音は難しいです。全く古い話で恐縮ですが1992年オーストラリアのブリスベンに住んでいた頃、市内から車で15分くらいの住宅街マウント・グラバットにアパートがありました。あちらは小さい道にも名前が付いていて、それがRaffles streetだったのです。だからどうしたとなるのですが、市内でちょっと食事をしてからタクシーで帰る時などは、当然、マウント・グラバットのラッフルズストリートに行ってくれと頼みます。もちろんこんな発音では通じません。ちゃんと、「マングラバッ!」とか「(ウ)ラッフルズ」とやって、アクセントはバのところとラのところを強調します。さらにRは舌を丸めてウという口を作ってからやり、その次のルは、これはRじゃなくってLですから、サラッと舌をちょこっと上の歯ぐきあたりつけるはずですが、なんだかわからなくなって来ます。こうした場合、タクシーの運転手はわかっていてもわからないと言うんじゃないか、イジメているんじゃないかと思うくらい通じません。しかし10回くらいやっているうちに「オー!ラッフールズ!」なんて。同じ発音じゃないかー!と思うんですが、微妙に違っていたようです。
 と言う訳で北京にもラッフルズがあるんだなーと思いながら、ドンドン真っ直ぐ歩きます。ふと見ると黄色に白に青の連結バス。これまたオーストラリアでよく見かけたバスです。オートマでガーガーうるさいんですが、パワーがあってドライバーは楽ちんです。道が広いオーストラリアや中国には合ってますね。
 それで前を見ると5〜60代くらいの欧米系の女性が歩いています。そこにフラッと赤いダウンの中国人男性がやって来てしきりに話し掛けています。女性は全く相手にせず真っ直ぐ前を向いている。どう見ても変ですよー。カリギュラフィーがなんとかって言っているんじゃないかと気になりますが、ほどなく男は離れて行きました。ほんとに変な感じです。
 
 赤い壁に沿ってずっと歩きます。ところどころベンチが置いてあるので、たまに休みながら。日当たりがいいのでちょっと座る分にはいいのですが、ジッとしていると寒くなって来ます。やっと天安門に着きました。なかなか立派な建築物です。沢山の人が写真を撮っています。未だにと言ったら失礼にあたるのか、失政はしても責任は問はない、と言う妙な論理でもって守られているおじさんの写真がデーンと飾られています。堀を渡って中に進みます。立ち止まると警備の人民解放軍の兵士に文句を言われます。「立ち止まらず前にお進み下さい。」というより「止まるな!進め!」と怒鳴られている様です。誰に対しても同じ。そこは差別も区別もありません。
 中に進んで端門という2番目の門に登りまりました。眺めがよく、故宮はもちろん、遠く北海公園のチベット式仏塔が見えました。ガイドブックによると1651年、清国当時、建立されたものだそうです。明日行ってみるとして、なんだか随分風が冷たくなってきました。このくらいのスケールのところは2〜3日ではとても回り切れません。じっくり見ると橙色の屋根に紅の壁で統一され大変綺麗です。しかし寒いので引き上げます。それにしても寒い。お腹が痛くなってきました。まずいなーと思いながらも色々見て回ります。来たときとはちょっとだけちがう、と言っても少し大通りから中に入っただけですがきれいな公園の様な小路。こういうところは中国的できれいです。
 先を急いで、グランドハイアットの地下のカフェまで歩いて戻りました。その前にゆっくりトイレットタイム。やはり急に身体が冷えた様です。
 カフェラッテ20元 260円。味は良し、値段は成都空港上島珈琲の38元と比べたら安いけれど、スタバだとトールで23元と考えるとやはり、安くはないですね。日本の値段と比べても。ドトールコーヒーの高級版カフェエクセルシオーレなんかのカフェラッテが310円しますが、味と量を考えると同じくらい。という事はやっぱり高目に設定してあるわけですね。とにかくゆっくり休みました。

29日目① 北京の詐欺師に気をつけましょう! 2010年12月8日(水) 







 詐欺師に気をつけましょうとはホントです。それも、天安門から歩いてわずか2〜30分ほど、ペニンシュラヒルトンにハイアットなど一流ホテルや、オシャレなショッピングセンターの真ん前。またその数の多さにもビックリしました。

 ま、その前に、北京の朝。快晴です。大変気持ちがよろしい。但し気温はかなり低いですよ。成都より10度は低いと思う。随分と寒いものです。こんなに寒いならダウンの中にセーターを着ておけば良かったのですが、この時はダウンだけ。これが後で効いてきます。
 ホテルの食堂は小じんまりしてますが、大理石と焦げ茶色の樫材を使った骨董風な椅子とテーブルのセンスがいい。胡同の写真集や書籍を並べた本棚もあり、飽きません。朝食はパンにコーヒー、ジュースにヨーグルトにオムレツと野菜炒め。しっかり食べられます。
 食後はゆったりと日当たりのいい中庭へ。明るいグレイの石の壁や屋根に朱色と緑色がよく合っています。この四合院式の建物は、元々は昔の高級役人の住居だったそうです。部屋からの眺めは特になく中庭が見えるだけですが、妙に落ち着きます。しっかりした建物だからでしょうか。安心感がちがいます。それに首都の真ん中にいるとは思えないくらい静かです。
 
 さて、今日はまず天安門の方へ歩いて行くことにしました。碁盤の目の様な道路なのでこれはわかりやすいです。胡同から大通りに出るとそこが朝陽門南小街。南へ建国門内大街にぶつかるまで行ったらそこがもう天安門前の大通りです。方向音痴の私でも間違えっこない。
 やはり首都だけあってやたらと建物や道路がきれいです。電信柱は見えないし、広告とか看板なんかも少ない。殆どない。色が氾濫してない。日比谷あたりを歩いている感じでしょうか。ビルの屋上に東洋的な屋根を持って来たり、趣向を凝らしています。四角四面のビルではつまらないので中国風のアクセントを加える。中国文化をアピールする。西洋文化を取り入れるにしても中国を主張する事が大事なわけです。

 開業10周年か何かの10という数字に、クリスマスの飾りつけをしたビルがありました。入って行くとグランドハイアット北京につながります。ピカピカの床に吹き抜けの商店街。カフェがあってのんびり出来そうです。こういうところには綺麗なトイレがあるので探しておきます。カフェラッテは後にして、すぐに天安門に向かおうとしたけど、写真を撮っておこうとした、その時、どこから来たのと声がかかりました。4〜50代の母親とその娘といった感じ。写真撮ってあげるよというので、娘の方にカメラを渡してお願いしました。写真はよく撮れていましたが、これが詐欺師だったんですね。
 どこから来たのとか、これからどこへ行くのとか聞かれました。ここから5分のところでカリギュラフィー(書道)の展示会があるから行きませんかと、その学生だと言う娘の方が言うので、5分くらいならいいかと思って歩き出しました。大通りからちょっと中に入ったのですが、もちろん細い入り組んだ道ではなく広ーい道です。それにしても質問攻めです。何日旅行しているのか、家族はいるのか、結婚してるのか、どこに泊まっているのか、、、、。これはさすがにまともには答えませんでしたが、もう10分近く歩いたところで小さなビジネスホテル風のところに入って行きました。う〜ん。エレベータに乗ろうという時になってそこまで、と思いやめました。大丈夫ですよーなんて言ってます。大丈夫なわけがないでしょう。人目がないところでいきなり何をされるかわかったものじゃない。別に美人の母と娘って言うんではナインですよ。普通の感じ。いきなり力技が出てくることもないかも知れませんが、わかりません。コワーイお兄さんが現れて、身ぐるみ引っ剥がされるかも知れない。
 
 この後、天安門を2〜3時間見てまわってから、疲れたなーと思って同じグランドハイアットのショッピングセンターに入ったら、またですよ。今度は学生だと称する女性が、自分は学生だけれどカリギュラフィーの展示会に行かないか?と。馬鹿馬鹿しいにもほどがありますね。君の言う事は信じられないと言ってさよならしました。ポカ〜ンとしてました。それにしても安っぽいですね。成都にはこういう輩はいませんでした。ホントはいたのか、偶々会わなかっただけか。でも10日もいたのに全然遭遇しなかった。こちら北京はまだ1日目。それも数時間の間に2組!(実はこの日の夜はもっとすごかったんですよ〜。)
 というわけでカリギュラフィーには気をつけましょう。

28日目③ 北京胡同 2010年12月7日(火)



 一休みしてからさっそく、夜の胡同を散策してみましたが、暗くてよく分らない。迷子になりそうなので、角を曲がる毎に写真を撮っておきました。この角を右折して細い通りを真っ直ぐとか。このくらいやっておけばホテルまでちゃんと帰れます。 
 小さい食堂をいくつか見ていると、やはり普通の炒飯が一番食べたいので、そんな店を探します。店の看板に「美味蜀多」とあるので、蜀、すなわち四川省成都の料理ということです。値段も成都とそんなに変わらなさそう。その程度の感覚で店を選びます。味もまあ大丈夫でした。どうも冒険心がないというか、ひとつ覚えというか遊び心がないですが、気に入った味というのは飽きることもない。成都には親しみを感じるわけです。
 大通りまで出て見るとやはり首都だけあって、夜遅くまでライトがギラギラしているレストランとかホテルなどがあります。小さい商店も少し開いてます。小腹が減った時の為に自家製クッキーを少々。ホテルの近くまで戻って小さい商店でビールも買いました。500MLが1本、10元!ン?それは高いと思ったら、お釣りを誤魔化そうとしていました。20元札を出したら、10元のところ、5元札を寄越そうとしました。せこいオヤジです。10元札だろ?と言うと、あっ、間違えたと言わんばかりの演技。日本人だと思って最初からボルつもりです。1ヶ月弱の中国、チベットの旅でこのくらいせこい奴は初めてですね。一応、あとで他の店の値段を調べてから文句言う事にして、その晩はホテルで高いビールを飲んで休みました。500ML1本が5元としたら2倍に吹っかけ、かつお釣りを誤魔化そうとしたことになります。
 翌日、コンビニみたいな店で値段を調べたら6元はしません。早速オヤジのところに文句を言いに行きました。他の店では5元だったぞ!と言うと何やら言い訳をしていました。金を返せと言ってもどうも埒が開かないので、「公安に言いつけるぞ!」とジェスチャーを交えて脅しておきました。
 この北京では色々気をつけた方が良さそうです。
  
 でも、ホテルに帰るとフロントには頭が良くて愛想のいいリサちゃんがいるので、イヤなことは忘れてしまいますね。さすがに疲れたので早く寝ます。

28日目② 北京空港から市内へ 2010年12月7日(火)




 17時25分、真っ暗な北京首都国際空港に34秒でランディング。それから30分もかかってやっとターミナルビルへ。だだっ広い空港だから時間がかかるのでしょうか。18時半頃、やっと荷物を受け取り外に出られました。予約してある「北京四合コートヤードホテル」と私の名前が書かれた紙を持って、男性ドライバーが待ってました。遅くなっちゃってごめんねーと言って早速、車に向かいますが、どこをどう歩いたのかさっぱり覚えていません。車を見つけて走り出すとほどなく、成田国際空港から都心に向かうのとそっくりな感じの道路が現れます。北京じゃなくって日本に帰ってきちゃったのかな?東関東自動車道かな?と思うくらい。ただ、気のせいか道幅はずっと広いです。そしてしばらく行くと両側に高層マンションがズラーっと並んでいます。千葉から東京に入るあたり、川を超えたり左右にマンションを見ますが、そっくりです。日本の建築会社がいっぱい仕事をしたんだろうなーと推察します。
 さらに夜の高速を行き、英語が苦手なドライバー氏が「フートン(胡同)」と言って道幅が異常に狭い入り組んだところに入りました。なるほどこれが胡同かーと思いました。石造りの狭い長屋の様な一画である事は以前書きました。実際来てみると道を覚えるのは大変そうです。空港を出てから30分程で着きました。これは大変助かりますね。成田だとこうは行かない。今頃まだ高速を突っ走っていますね。

 「北京四合コートヤードホテル」今回の旅の中では奮発し1泊1万円くらいです。最後くらいはゆっくりしたかったし、北京は3泊しか出来ないので気に入らないからとホテルを変えることはできないので、ある程度いいところにしようと思っていました。それにインターネットの予約サイトの口コミを見ると、皆、スタッフが素晴らしいと絶賛していました。アテにならないかも知れないけど、部屋の重厚な感じもいいし、天安門にも王府井にも歩いて行ける、などなど間違いないだろうと思いました。もちろん間違いありませんでした。 
  
 部屋は既に暖かくしてあり、フロントのリサちゃん(中国名は暁暁シャオシャオちゃん)がよく案内してくれました。分かりやすい英語で常に微笑みを絶やさず、相当なレベルだとわかります。欧米人の客に対しても問題なくやれるでしょう。
 これなら北京も期待できそうだなーと思って一休み。