30日目②北京 北海公園 2010年12月9日(木)








 可愛いオート三輪の次はトロリーバスを見ました。バスの天井に2〜3メートルの金属の棒が2本出ていて、上を走る電線に繋がっています。カーブを走る時なんかは見ていると外れそうですが、うまい具合に伸び縮みしてちゃんと電気を取り込んでいます。
 遠くに面白い名前のホテルが見えました。ワッハッハ本舗ならぬ、WAHAHA HOTELですよ。漢字は娃の次がうまく変換出来ないので写真を見て下さいね。冗談が効いているのか大真面目なのかよく分かりませーん。
  
 しばらく行くと公園に三角形の金属製のオブジェがあります。1919、5、14とあります。大変お恥ずかしいことですが、その日の意味を知りませんでした。これは後で調べてみると、反日運動が起こった日でした。
 日清、日露と戦争に勝ち、日英同盟のよしみでちょっと出兵しただけの第一次世界大戦でも、運良く勝ち組に回った日本は、向かうところ敵無しと傲慢な態度で、対中国21ヶ条の要求を突き付けます。これはドイツが持っていた青島ビールで有名な山東省や、南満州鉄道いわゆる満鉄など中国東北部、また東岸部などの権益を寄越せというもの。軍事的にも産業的にも日本の言う事を聞けという内容です。しかし、山東省で言えば、ドイツが日本に変わっただけであるとか、沿岸部に強い番犬でも雇った気でいるのか、中国的というのか、はたまた大人というのかよくわかりませんが、中国政府が本気で怒っていたのかどうか。もちろん学生達は怒って、天安門広場に何千人も集まり、さらに全国的に反日運動が広まったということです。反日運動の歴史はよく知っておかないといけません。遅ればせながら勉強します。

 さて、天安門の奥に筒子河という名前の堀に囲まれた広大な故宮があります。私が泊まったホテルがある胡同は礼士胡同と言いますが、ここから20分も歩けばもう故宮です。色々見ながら歩いているとスグです。左に故宮、右に景山公園を見ながら堀に沿った長ーい歩道を行きます。堀の水は凍っています。大体気温も零度くらいということになります。北海公園の入口も見えてきました。入場料は15元。凍った湖にアヒルがいます。中央アジア系の人達が踊っています。岩山の階段を上って行くとお寺があり、仏像もいくつか。
 岩山の頂上にはチベット仏教の仏塔があります。前に書きましたが、このチベット式の仏塔は清国建国7年後に当時の皇帝が建立したものです。チベット仏教が遠くモンゴルへ広がり、やがてモンゴルを抑えていた満州人達が、中国の多数派漢民族を支配し清を建国。首都を北京に移し、広大な皇帝の公園である北海公園の中心にチベット式仏塔を建てる。これは実にドラマティックな話です。
 と同時に、今、なぜ漢民族の国である中国が、チベットを虐めているのかが分かる様な気がします。被支配者達が力をつけ、落ちぶれた支配者を追い出す、という構図。あるいは歴史は繰り返すとも言います。
 しかし、チベットは仏教を大切にすることによって、元々戦闘的な(チベット人全部というわけではありません)民族の性格が平和的な穏やかな性格に変わって行き、今日に至っているわけです。
 
 山の頂上から向こう側、北海を眺めます。こんなに広ーい公園が首都にデーンと構えているところが正に中国的です。岩山を降りて行くと、回廊があります。「日本人ですか〜?」って言って写真を撮って欲しいと頼んできたのは、韓国から来た女の子二人組でした。
 百何十年も昔、勝海舟は中国のスケールの大きさ、韓国・朝鮮から多くの文化が伝わって来た事などをよく認識していました。喧嘩なんぞしている場合ではないという事でしょう。それが証拠につい70年ほど前、日本はえらい事になちゃったわけです。今の中国は非常に難しい国ですが、理解を深めないといけませんね。

 静かな湖を見ながら、北海公園を通り抜け、南羅鼓巷という胡同を利用したおしゃれな通りに向います。