24日目② 成都 ニュージーランドの友達 12月3日(金)





 金沙遺址博物館は緑の芝生が美しく広々としていて素敵なところです。あいにく小雨が降っていて少し寒かったのですが、よりいっそう緑が映えました。大昔の住居跡やら、掘り出された金細工に宝石の数々。展示もシャレていて、全く見飽きないです。おまけに写真撮影が自由。なんでも撮っちゃいます。いいのかなー?と思うくらいです。

 一通り回って疲れてきたので、ゴージャスなレストランに入って、コーヒーを注文して待っていると、
 「コーヒーを頼んでくれないか?」と欧米人の男性に話しかけられました。コーヒーくらいいくらなんでも簡単だろうと不思議に思ったら、
「ブラックコーヒー半分にミルクを半分入れて欲しいんだ。」と言うので、ン?!それはオーストラリアやニュージーランドの飲み方?と思って、どこから来たの?と聞いてみたら、案の定、ニュージーランドからでした。確かフラットコーヒーだかなんだったか、でも、あれはエスプレッソを使うんだったかなー、ミルク半分というのは多いなーとか、よくわからないけれど、注文するのは別に難しくはないだろうに、、、。
 カウンターの中のスタッフはあまり英語が得意ではなく、出来ない出来ないと言っています。ニュージーランドのグレッグさんは出来る、出来ると繰り返します。まあ、絵でも書くしかないのでカップにコーヒーを半分、ミルクを半分。見せてみました。隣りの方からグレッグさんの奥さん、キャンディスさんがさっき絵は書いたんだけどねー、と。それならもうスグにでもわかりそうなものなんですが、、、。色々やっているうちにどうやらわかってくれた様です。値段もまあ普通の値段にしてくれたみたいで、一件落着。 というわけで一緒にコーヒーを飲みました。
 
 グレッグさんは建築家でクライストチャーチから来たそうです。私は東京からと言ったら、奥さんのキャンディスさんが船橋(たぶん?)で英語を教えていたとのこと。連れの中国系の女性が「仕事は何をしているの?」と聞くので、仕事は辞めたと言ったら前は何をしていたのかと聞くので、7年ほど携帯電話会社のカスタマーサービスでクレーム客と話してた。その前は日本語教師をしていて、オーストラリアのブリスベンで仕事したことがある、と話したら、驚き。キャンディスさんがそれならスーザン知ってる?と聞くので、その人は当時の私のパートナーの上司で、確か教育省に勤めてたと言ったら、なんとキャンディスさんの親戚なんだそうです。エーッ!ビックリ!世界は狭いですねー! イッツ ア スモール ワールド!とかなんとか言っちゃってみんなで顔を見合わせました。
 今どこに泊まっているのかとか、この後どこへ行くのかとか色々。どうやら英語を話す中国系女性は成都出身らしく、もう一人の中国系女性は英語は話さないようでした。赤い服の少年は英語ペラペラ。みんなは親戚ですかと、キャンディスさんに聞いたら、ちょっと複雑、、、とか言うのでそれ以上は聞きませんでした。この辺の事情は人によって色々ですね。
 余談ながら、オーストラリアに住んでいた1992年頃、人に国籍を聞かない方がいいと教えられました。移民が多いかの国では、オーストラリアの市民権なり国籍などを得る為に必死で頑張っている人達が多く、それでもうまく行かないこともある。そんな人達を傷つけることになるから、国籍の話はしない方が無難だということでした。日本でも最近でこそ韓国・朝鮮系あるいは中国系の人達の国籍や本名を使うことへの理解が多少深まってきましたが、まだまだですね。さらに余談ですが、私が現在無職と言ったら、前は何をしていたのかと聞かれたのもちょっと新鮮な驚きでしたね。結果として、共通の知人がいる事が分かったり大いに楽しかったですけど。仕事というのはその人を知る為の情報なので聞くのでしょう。私は旅人という職業はないのかなーと思ったりします。
 
 成都の後は北京に行ってからクライストチャーチに戻るとのことで、北京で少しばかり日程が重なるのでビールを飲もうと言って別れました。
 (その後、私は北京で体調を崩し一緒にビールは飲めませんでした。そして、クライストチャーチと東日本の大地震。お互いの無事が確認できました。)