17日目② シガツェ 11月26日(金) タシルンポ寺の勤行 町

 タシルンポ寺を見学していると、ガイドのジェムツォさんが、昼のセッションが見られるというので行ってみました。中庭で待っていると、僧侶が三々五々集まって来ます。ミルクティが入っている大きいポットを抱えて来る人もいます。皆、ホールの前で、黄色いマントの様な僧衣を肩にかけ、ブーツを脱いで裸足になり、黄色い帽子をかぶって中に入って行きます。日陰は結構寒いので、裸足は大変そうです。小さなポットを持ってきて僧侶に渡しているチベット人がいます。これも一種の寄進です。

 しばらくして中に入ってみると、既に2〜300人くらいの僧侶が集まっています。16〜7才くらいから大人まで。しかし、なんとなく楽しそうです。そのうち低い声でお経を唱え始めます。これとそっくりのCDを聴いたことがあり心地がいいです。僧侶が持っているお椀に、さっきの一抱えもあるポットでミルクティが注がれて行きます。大きなボウルに入ったツァンパの粉も手渡しで配られます。見ていると空のペットボトルにミルクティを注いでいる僧侶もいます。後で飲む為に確保するんですね。どうもこのセッションというか勤行はちょうどお昼の時間になっているので、実質的にはまさに昼ご飯なのだと思われます。器用にお椀の中のツァンパの粉にミルクティを注ぎ、手で練ってお団子の様にして食べています。なかなか面白いものです。

 チベット第2の町にあり、昔からダライ・ラマ政権と対立する事が多かったと言われる同じゲルク派パンチェン・ラマの僧院。パンチェン・ラマ10世の功績を考えると強大な意志、あるいは正統派に対する異端というか、ダライ・ラマとは違うやり方でチベット仏教を守るのだという高い矜持を感じます。

 正規軍に対する非正規軍すなわちゲリラ部隊。主力部隊に対する支援部隊。古今東西の例はいくらでもありますね。日本海海戦時の連合艦隊第一艦隊と第二艦隊。太平洋戦争では、1944年7月サイパン陥落後、残存兵力と民間人を指揮した日本陸軍大場栄大尉の部隊に対して、元ヤクザの堀内今朝松一等兵率いる遊撃隊。主隊を陰に日向に援護し、効果的に位置し、時に決定的に補完する。どちらが欠けてもならない。
 何やらキナ臭い話しで申し訳ございません。中国国内のチベット自治区青海省四川省及び甘粛省などチベット族自治州のチベット人。そして、インド、ダラムサラに代表される亡命政権など国外のグループ。相補い合ってその目的を果たして頂きたいと願っています。

 タシルンポ寺前の広場にはチベット人が輪になってピクニックを楽しんでいます。門前町を歩くと羊が1匹丸ごと売っています。20匹も、30匹も。そう言えばラサのポタラ宮周りの店でもかなり豪快な肉類が売っていました。果物も沢山あります。

 仏具屋の店先にはパンチェン・ラマはもちろん、2000年に僅か14歳でヒマラヤを越え、インドのダライ・ラマ14世のもとへ亡命したカギュー派の活仏、カルマパ17世の写真までありました。これには少々驚きました。なぜなら、ダライ・ラマ14世と中国政府双方より認定されていたカルマパ17世は、中国政府から次代の指導者になるべく厚遇を受けていたにも関わらず、国外へ脱出。中国政府から見ればとんでもないという話しになるからです。しかし、ここはパンチェン・ラマのお膝もと。寛大なムードを演出しているのかも知れません。

 昼はボリュームのあるスープに餃子に似ているモモ、肉野菜炒め、ヤク肉入りの春雨みたいな麺。ちょっと食べ過ぎ。ホテルに帰って一休み後、夕方、町外れの湖まで散歩しました。人工的な場所ではあるけれど山並みが湖面に映ってきれいです。4、000メートル近いところで暮らすのも、慣れれば大丈夫かも、と思わせます。チベット人の姉妹が「ハロー!」と声をかけてきました。やはり、中国人に対してというより日本人だとわかるようです。「こんにちは。」って教えてあげれば良かった。