14日目① ラサ セラ・ゴンパ 鳥葬か、、 11月23日(火)

 









 8時過ぎに起床。気圧は649ヘクトパスカル 部屋の温度は17、6度。昨晩はエアコンを20度に設定してつけっ放しで就寝。3時過ぎ、ちょっと目覚めた時、17度くらいでした。毛布も軽くてよく眠れます。普段、東京で過ごす冬はもっと低い温度、10度以下でも全然大丈夫なんですが、11月に急に冬を迎えたので、身体がびっくりしていたのだと思います。それと気圧が低いので体力を消耗します。11月の初旬はまだ海で泳いでいたくらいなんですけどね。
 
 朝ご飯は屋上のペントハウス風レストランでポタラ宮を眺めながら頂きます。外で食べても良し。レストランの中に雀が入って来ます。

 さて、今日もセラ・ゴンパの見学です。昨日は主に寺の内部を見ましたが、今日は外周をぐるっと回りました。巡礼の人達が時計周りに歩いています。ほどなく小さい子供がやって来て小銭をねだるので、写真を撮ってくれたらあげようとガイドのジェムツォさんから伝えてもらいました。写真をちゃんと撮ってくれたので約束通り小銭を渡しました。すぐ近くに住んでいる子供だとのことです。学校に行けない子供が多いようです。
 山を歩いて行くと、岩に色とりどりの仏画チベット文字が描かれています。高さが20メートルくらいあるタンカ台もあります。巡礼者達は気に入ったところで一休みしています。私達も3時頃から始まる問答修行まではのんびりしました。あんまり速く歩くと息が苦しくなるし、天気もいいのでゆっくりします。

 セラ・ゴンパの台所とか色々見ながらふと振り返って山の上を見た時、ジェムツォさんがあれは鳥葬をやっているようだと言うので、なんとも不思議と言うか恐ろしい言うか神妙な気持ちになりました。人が亡くなった後でも他者の為にその身体を与えるという崇高な考えによるものですが、心情的には馴染めないものがあります。日本でも死後の検体などは医学の為という、何か共通した考えもあると思いますが、これまたなんだか悲しくなります。死んだ後とは言え、肉体を切り刻まれるというのはどうにも厳しい。大変厳しいものを感じます。もちろんこの場合、亡くなった本人より残された家族など周りの人の感情の問題だと思います。数年前に父を見送った際、病院側から検体の意志があるかどうか確認を依頼されましたが、お断りしました。死とは古い衣を着替える様なものだという、ダライ・ラマ14世の説明がありましたが、とてもその様な気持ちには少なくとも私はなれませんでした。