11日目② ラサ ジョカン いろいろ 11月20日(土)



 巡礼のチベット人でごった返しているジョカンに入ります。ガイドのジェムツォさんが、どうもみんなとは違う近道みたいな方に案内してくれます。ちょっと申し訳ない様な気がするのですが、ドンドン歩いて行きます。
 明日はチベットの伝統的な女性の日とでもいうお祭りで、お寺ではその準備で大忙しです。女性の為のお祭りというのも、このジョカンの成り立ちからいうとわかる様な気がします。遥か昔、唐やネパールから険しい山々を越え、何ヶ月もかけてソンツェン・ガムポ王に嫁いで来た王女たちの霊を慰めるのでしょう。そこから、女の人みんなのお祭りになったのだと。これは推察ですが。
 普段はしまっておく色とりどりのタンカを飾っています。朱色に黄色と鮮やかです。祭りの前日でもこれだけ混雑しているのだから、明日はもっとすごいでしょう。拝観どころではない。だから今日はラッキーです。
 屋上からはポタラ宮が見えます。黄金の鹿はガイドブックには必ず写真が載っていますが、何枚も撮ってしまいます。絵葉書にすると良さそうです。

 バルコルを回っている時に、このラサの町中の物乞いの多さが改めて気になりました。中国政府の遊牧民に対する定住策などで、住み慣れた山や草原から町中へやってくる彼等は、そもそも町あるいは資本主義の中で生きていく術を身につけることが難しい。そして平等な社会とは到底言えないこの町で、結果として、現金を手にする方法がないので物乞いの様になってしまうことが多いようです。チベットの社会は破綻しているように見える。社会主義国中国の中に組み入れられ既に半世紀以上経っているにもかかわらず、チベット人だけが苦労している。どんなに鈍い観光客でもちょっと町を歩けばこれは変だと気づきます。
 ひたすら他者の為に祈れ、あるいは、敵を愛せよと教えられる。ブッダは耐えよと言う。みんながどれだけ幸せになれるのか。疑問を感じてしまいます。
 相手がルール無視で向かって来るのに、こちらがその相手を信じていては、どうも最初から勝目がない。今、己の信仰に自信を持っている人がどのくらいいるのか非常に気になるところです。が、こんな話はチベット人と気楽にできるわけではないので、実際のところはわかりません。
 いずこでも、いつの世でも、理想主義者は厳しい生活を強いられるということだと思います。