番外 東北関東大震災 特別法要 2011年3月26日(日) 人を信じる智慧

先日の法要は護国寺本堂にて、前回より多くのお坊さんと一般の参加者、合わせておそらく200名くらい。般若心経の唱話の前に、護国寺貫主岡本住職よりお話がありました。

常々、ダライ・ラマ14世が「愛や思いやり」だけではなく、真実を見極める智慧が大切なのだ、とおっしゃっていますが、その「智慧」を是非大切にして欲しいと言った内容でした。

確かに「仏教の一番大切な教え、智慧と慈悲」というダライ・ラマ14世の著書もありましたが、仏教では智慧というものを大切にしていますね。
また、知恵という言葉は何かこう、賢者のイメージがあります。知恵者。生活の知恵。おばあちゃんの知恵などなど。逆にちょっと小狡いイメージもあります。悪知恵。女の浅知恵(女性の方、すみません)。猿知恵など。
いや、知恵でなく、智慧とはもっと深ーい、意味のある仏様の言葉。

信じていた人に裏切られたといった経験は誰にもあると思います。逆に、信じられていたのに、その人を裏切ってしまった。最初から騙そうと思っていたのか、心ならずも裏切ってしまったのか。いずれにしろ相手からすれば裏切られた。こちらからは裏切ったということ。

そうならない様に頭と心を働かせろということになるのかなー。性善説だけでは生きて行けない。性悪説にも充分対応出来ることが、どうしても必要になる。誰だって騙されたくはない。騙すより騙される方が悪いという言い方もよく聞くけれど、好きで騙される人はいない。
人を信じて生きて行きたいけれど、人は弱く、また、色々な考え方や事情もあるので、いつか裏切られるかもしれない。
それでも人を信じて生きて行きたいのか。生きて行かなければいけないのか。

生涯一度も人を斬ったことがないと言われる明治維新の立役者、勝海舟は、刀の鍔をこよりで縛って、すぐには刀が抜けないようにしていました。
たとえ斬られてもこちらからは斬らないという覚悟。危険な目に遭った時は命を捨ててかかったという人です。
しかし、そんな勝海舟も京都の街を歩いていた時、刺客に襲われ、危うく殺されるところ、ボディガードの岡田以蔵が刺客を真っ二つに斬った。
難を逃れた海舟は、その後、以蔵に対して「人を殺すことをたしなんではいけない。」と諭したのですが、以蔵から、もし自分がいなかったら先生(海舟)の首は既に飛んでいたでしょう、と言われた。これには海舟も一言も言えなかったとのことです。(氷川清話より)

恋愛市場(?)に於いて、振られるより振った方がラクだ、という考え方があり、実践なさっている方も沢山いらっしゃる。俗っぽい知恵ではあります。しかし、振られた相手は確実に傷つく。「出来るだけ他者を助けなさい。それが出来なくても、他者を害すことがないようにしなさい。」という大切な教えに反する。自分は傷つきたくない。恋愛では惚れたら負けとも言い、損をする。惚れた立場は傷つくことが多いから。
半端な仏教入門者としては、さて、どうすればいいのか。
絶対に相手を傷つけないように恋人を振る方法なんて本がありそうですが、格好悪い真似をわざとして相手から嫌われるっていう類の。わざとらしさを相手に悟られてはいけないなどなど。なんだか、智慧と知恵が混同して余計わからなくなって来ました。

要するに処世の秘訣は「誠」の一字だ。(前掲本・氷川清話より)

あっさりと勝海舟の言葉で締めさせて頂きます。修行の足りない私の浅知恵はとっくに尽きているので。