3日目② 成都市内 錦里、チベット人街。ささやかな抵抗。2010年11月12日


静かで落ち着いた「武候祠」をゆっくり味わったあと、すぐ隣りの仲見世「錦里」を歩くのが定番コースの様です。門前町というか浅草の仲見世みたいなところで、お土産屋さんに飲食店、伝統様式のホテルもあります。お土産は扇子に団扇、絵葉書、筆に硯(これは重い!)お菓子類に古本、地図、京劇のお面などなど、、、。何度往復してもお祭りみたいで見飽きません。

スタバを見つけたので、ここ迄来てなんだなーとは思いましたが入ってみました。カフェラテトールサイズが23元、300円。日本と同じ値段ですよね。コーヒーは中国では大流行の様ですが、どこも結構な値段です。味はイマイチという店もかなりあります。でも、スタバなら英語を話すスタッフが多いのでなんとなく気が楽です。
地図を見ていたら「チベット人街」がすぐ目と鼻の先にあることに気がつきました。

「武候祠横街」これがチベット人街の真ん中にある通りの名前です。歩いてみると仏像、仏具、僧衣、雑貨などの店がズーッと並んでいます。チベット人、僧侶なども沢山歩いています。

しばらく行くとヤジ馬が集まっていました。見ると、僧衣ではない派手な赤い服にジーンズ、長髪の男性がマイクを持って、何か歌でも歌うような感じ。そこに二人の公安、つまりお巡りさんが「あれをするな!これをするな!そのスピーカーを使うな!」(多分)などと絶叫しています。ところが長髪の歌手氏は冷静で、「ただ歌を歌うだけなのに、何が悪いのか。」(これも多分)と、穏やかに話しています。ヤジ馬も増え、2〜30名になったでしょうか。中にはデジカメを構え、いつでも「証拠写真」が撮れる様に用意している若い僧侶の姿もあります。

お巡りさんはどうも口で負けているなーと思ったのか応援を呼び、すぐに少し偉そうな別のお巡りさんが来ました。「何をやっているんだ!」「歌を歌おうと準備しているんですよ。」「そのスピーカーを見せろ」「ただのスピーカーですよ。どうぞ。」(こんな感じのやり取り。すべて推測です。)

全くラチが開かず、さらにまた偉いお巡りさんがやって来て「何をしているんだ!」「何度言わせればわかるんですか。
歌を歌っているんですよ。」(と言ったかどうかはわかりません!)

映画・大脱走のシーンを思い出しました。スティーブ・マックィーン扮するヒルツ大尉が、捕虜収容所の金網に野球のボールを転がし、取りに行って、看守の死角を探っていたのが見つかり、足元を機関銃で撃たれた後、尋問するドイツ軍の将校、最後には収容所長にまで同じ質問をされ、「ボールを取っていたんだ。」と答えていましたが、しまいには「金網を破って脱走して空からベルリンを拝むんだ。」と、答えていました。全く神経が太い。

で、結果は、長髪の歌手氏に対してなんのお咎めもなく、7〜8人のお巡りさんはブツブツ言ったり、苦笑いをしながらスゴスゴと帰って行きました。一同拍手。

フーン、すごい。全く一歩も引かなかった。大した根性だ。歌手氏は晴れてなにやら演歌っぽい歌を歌ってました。皆が小銭を寄付しています。僧侶も普通の人も。私も。

さて、またしばらく歩くと今度は小さい食堂の鍋やら机やらが歩道にはみ出ているから引っ込めろ!と絶叫しているお巡りさん発見!よく見るとさっきの一番最初に文句を言っていたやや小柄のお巡りさんでした。食堂が3軒ほど並んでいて、1軒目、2軒目は仕方なく鍋やら机を店の中へ引っ込める準備をしています。もちろんはみ出ていると言っても何十センチのことでしかも歩道の方が高くなっており、歩行の邪魔には全くならない。他の中国人の店なんぞ、まあ、お昼時にはガスコンロに鍋を出してきて歩道の真ん中で料理して食べる、なんて当たり前の光景。つまりはチベット人に対する嫌がらせ。

さあ、3軒目の下拵え中のオバサンは強かった。30分くらいは粘って、応援のお巡りさんが5〜6名になったところでやっとじゃあ少し引っ込めるか。という感じでした。あるいは、充分手こずらせたからまあいいだろうという雰囲気。

中国の成都にしてから、こんな状況ではチベット自治区内はどれほどのものかと思いました。

少し歩いて、公交28番のバスでホテルへ帰りました。