30日目④ 北京 2010年12月9日(木)



 
 1ヶ月の旅行もいよいよ終わりです。明日は飛行機で日本に帰ります。南羅胡巷からのんびり歩いて帰って、大きいホテルの1階のスタバに入って、旅行を振り返ってみました。北京には多少参りましたが、面白い旅行が出来ました。旅と言うにはおこがましいけれど、会社に勤めていたらなかなかできない旅には違いないでしょう。チベットがメインの目的でしたが、2週間の滞在の為にその前後に余裕を持たせました。チベット自治区への入境許可が割合い簡単に出たので、実際には前後の余裕はもっと短くても良かった。まあ、これは時期によっても違うし、旅行会社でもわからない。相手は中国だから何が出てくるかわからない。
 まず、こういう点は改めて欲しいものです。計画が立てにくくて困ります。そのかわり、成都ではゆっくり出来たので気に入った場所もいくつか出来て良かったです。

 昨日あたりは体調を崩して鍋焼きうどんや日本酒の冷やが欲しくなるくらいでした。今日はもう大丈夫。成都でもラサでもシガツェでも44時間の青蔵鉄道も大丈夫でした。シガツェにドライブする途中、5、000メートルの峠を越しましたが、高山病はもちろん、体調も崩しませんでした。但し、ちょっと歩くと息苦しくなって、写真を撮るのもなんとなく落ち着いて撮れなかったかなー。
 これは空気が薄いからというよりも、ドライバーを待たせているからかも知れません。車の外でゆっくりはできない感じでした。自分で運転して行けたらいいのですが、その自由はない。公共のバスは外国人は原則として乗れないが、時期によって可能なこともある、などとガイドブックには書かれているくらい。こういうところにも自由がない。中国ではそもそも外国人が簡単に利用できるレンタカーの制度がないそうです。ドライブの楽しみくらいあっても良さそうですけどね。もっとのんびり気ままなドライブが出来て、ホテルに着く前に暗くなってしまったら、車を止めてそのまま寝てしまってもいい。ま、ムリだろうなー。

 北京の3日間は、やはり他の街と違う緊張感がありました。空気は薄くないし、自動小銃を担いだ武装警察も見かけなかったし、歩いてどこでも行けるし、カフェも沢山あったし、広々とした北海公園などは特に綺麗だし気に入った。けれど、どうも色々と「愛国教育」の影響を感じました。一定の年齢層に限られているのかも知れません。詐欺師には騙されませんでしたが、天安門のチケット売り場の案内がずさんで、イヤな感じがしたことなんかも今頃思い出します。
 チベットではもちろん、成都でも全く感じなかったことです。旅行直前、成都イトーヨーカドーあたりも反日デモで大変、尖閣諸島での漁船衝突事件もあった。誰かの指示で人を集めてデモをやるけどそれが終われば、普通の生活に戻る。街を行く人々が日本人を見ても別になんでもない。つい1ヶ月前に反日デモをやったはずの街なのに、全然その気配がない。人々は優しい。ハテ?どうなっているのか? 
 北京の方が成都より反日意識が高い?なんて言う事があるかどうか分かりません。北京郊外の中国人民抗日戦争記念館などは、今回は見に行きませんでした。本当は見ておかなければなりませんね。どのくらい客観的か、正確か、どのくらい宣伝をしているのか、どのくらい中国人に影響を与えているかなども確認しておいた方がいい。
 人口が多いから色々な人間がいる。首都と地方都市の違いがあるかも知れません。日本にいてもどこにいても、世界共通、大都市の匿名性というのがあります。人が多いから多少の悪さをしてもバレやしない、と思ってハメを外す。
 
 やはり、私は素朴な地方都市の温かさ、優しさと言うものが好きです。
 さあ、これからもっと言葉を勉強して沢山の友達を作ろうと、心に決めて、四合院スタイルのベッドでゆっくり休みました。